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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連する高坂地区の紹介
高坂地区は東松山市の南部に位置しており、古代から連綿と人の営みが続いていることから多くの史跡・伝承が残っている地区です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する比企氏をはじめとした武士にまつわる伝承や、鎌倉幕府にゆかりの深い寺院もあります。これらの事跡を地域住民や観光に来られる方に知っていただけるよう、さまざまな取り組みを行っています。
高坂地区の比企氏ゆかりの史跡
岩殿観音(巌殿山正法寺)
岩殿観音は養老2年(718年)に開基した古刹です。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝は観音菩薩への信仰が篤く、妻・北条政子の守り本尊とするため、比企能員に命じて岩殿観音を再興しました。鎌倉時代初期に制定された坂東三十三観音の十番札所となり、以降、多くの巡礼者が訪れています。
岩殿観音ホームページ<外部リンク>
判官塚(比企大神)
岩殿観音の門前町を途中で南に逸れ、階段を登った先に小さな社(比企大神)があります。これは比企能員を追福するために造られたもので、比企能員の官職である判官(右衛門尉)から判官塚と呼ばれ、地元の方々によって大切に管理されています。
移築記念碑には、その由来が次のように記されています。
「判官塚は比企判官能員の追福のため、築きしものと言い伝う。その由来は詳ならずと新編武蔵風土記稿に誌されている。…健保六年(1218年)頃岩殿山に居た能員の孫、員茂は、観音堂の東南の地、南新井に塚を築き、能員の菩提を弔ったという。何時の時代か比企大神として祭り崇め、参拝するようになり今日に至ったもの。このたび、大東文化大学キャンパス開発造成工事に伴い構内となるため、氏子一同相計り現在地に遷し祭る。」
高坂地区に残る伝説
クツワムシの伝説
不思議なことに、岩殿の里には秋の夜に鳴くクツワムシが住みつかない、と言います。その理由として次のような伝説があります。
「建仁3年(1203年・比企の変の起きた年)のこと、岩殿の庵に人目を忍び尼僧姿で訪ねてきた落人があり、実は比企能員の妻(子の妻ともいわれる)であった。庵主の計らいで匿われてひっそりと隠れ住んだが、庵主は寺男に命じて岩殿山のクツワムシを残らず採り根絶やしにしてしまった。クツワムシが人の気配に敏感で、鳴き声から人が隠れ住んでいるのを追手に察知されてしまう、と考えてのことであった。こうして能員の妻は無事に男児を出産したという。」
鈴留川の由来
関越自動車道のすぐ下で越辺川の支流・九十九川に合流する鈴留川の由来について、次のような伝説があります。
「昨日からの雨で鎌倉街道が濁流に没していて渡るすべがなく、山伏姿の旅人がもと来た道を引き返したところ小さな庵を見つけ、そこで一夜の宿を頼みました。出てきた尼僧は山伏を一晩泊めることにしましたが、その晩、山伏は急に腹痛を訴え、数日間床に伏せってしまいました。
山伏はやっと起き上がれるようになると、懸命に看病してくれた尼僧に手をついて素性を明かします。山伏の正体は源義経の部下の鈴木三郎重家で、吉野から平泉の藤原氏のもとへ落ち延びる際に、義経一行から一人遅れていたのです。重家はお礼に笈(山伏などが持つ背負い箪笥)を預けて平泉に旅立って行きました。」
いつしか里人がこの物語を偲び、重家の足を留めた小川を鈴留川と呼ぶようになった、とのことです。
もう一つの鎌倉武士団・九州へ移住した小代氏
小代氏は児玉党の武士で、入西相行の次男遠弘が小代郷(正代は古くは小代といいました)に定住して小代氏を名乗りました。遠弘の子、行平は源頼朝の御家人となり、一の谷の合戦や奥州征伐で活躍し、新潟県や広島県にある荘園の地頭職も務めました。行平の孫の代に、宝治合戦(1247年)の恩賞として野原荘(熊本県荒尾市)の地頭職も得ています。荘園の管理は代理を派遣し、総領は小代の館に居住していました。
ところが1271年、蒙古襲来に備えるため小代重俊に野原荘へ移住するよう、幕府から指示されます。重俊は高齢であるため小代に残り、子らが野原荘へ移住しました。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)には彼らが参戦したものと思われます。なお、青蓮寺には弘安4年(1281年)に建立された、重俊の人徳を慕った大板石塔婆が残されています。
その後、九州に移住した小代氏の一族は、動乱の続く九州の南北朝・室町・戦国・江戸時代を生き抜きました。大相撲の正代関はこの小代氏の子孫とされ、正代地区の住民との交流が続いています。
地域の取組
高坂地区ハートピアまちづくり協議会の取組
高坂地区ハートピアまちづくり協議会岩殿まちおこし専門部会では、岩殿地区の活性化のために様々な取組を行っています。
岩殿マップ配布
岩殿地区を訪れる方のために、観光案内マップを観光案内所などで配布しています。
比企能員のぼり旗設置
比企能員のPRのため、のぼり旗を作成し岩殿観音門前町を中心に設置しました。
観光案内看板の設置
岩殿観音門前町入口や判官塚入口の案内看板を設置しました。
岩殿観音門前町の皆さんの取組
屋号の掲出
岩殿観音門前町の皆さんが、各戸の屋号を掲出し、往時を偲ばせています。