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神戸の獅子舞

ページID:0003757 更新日:2023年9月21日更新 印刷ページ表示

神戸の獅子舞

この獅子舞は、修理した時、太鼓を修理した際に『寛政三年(1791年)六月吉日・武州熊谷梅町・太鼓屋三左衛門』と墨書されていたことから、230年ほど前から始められたと考えられます。古くは神戸(かんべ)家(旧善能寺)で支度を整え、神戸神社まで街道下りを行っていました。善能寺が焼失してからは総代の家より、昭和3年(1928年)からは社務所で支度を整え、地区内を回り街道下りを行います。昭和41年(1966年)頃には奉納が困難となり、獅子舞演技が中止となってしまいました。村には「獅子舞の風にあたると病気にならない」との言い伝えがありましたが、獅子舞を中止した途端、赤痢や疫病などが流行ってしまい、一転演技復活の機運が高まり、昭和47年(1972年)有志により保存会を結成し、復活を果たしました。数年の休止でしたが、多くの演技内容が忘れられ、演技に関わってきた人の記憶をたどり、現在の舞の形態があります。夏の禮大祭では、神社の境内に、16俵の俵で土俵を作り(直径4メートル40センチートル)、舞庭が作られ、前庭・後庭に分け、神社に奉納します。その他では、昔、干ばつの時「昭和26年(1951年)」、「鞍掛渕(現在のくらかけ清流の郷)にすりこむ」といって、「戌亥黒雷天(いぬいくろらいてん)」の旗を先頭に、竹製の神輿と共に鞍掛山の麓の都幾川に隊列を成し練り込み、雨乞いの舞を捧げたと言われ、その帰途途中から「雷雨」に見舞われたと、長老が伝えています。また、疫病の時も、舞が奉納されたとも言われています。三匹の「獅子頭」は、見事な顔立ちで、特に雌獅子は、「一本角」で、舌を出しているなど、ひょうきんな姿も表現しており、地区の宝として、後世に残すべき貴重な文化財です。

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神戸の獅子舞の動画へのリンク付き画像<外部リンク>

 詳しい説明付きの動画です。

 

 

令和5年に開催された神戸の獅子舞の動画です。<外部リンク>

 令和5年に開催された神戸の獅子舞の動画です。

獅子舞唄

前庭

 千早振る 神のえがきに苔はえて これも久しき氏子なるらん

 ささらおば 褒めて謗らずお褒めあれ きのうや今日の習いで揃う

後庭

 むさしのに はばかるほどの梅の木に 富士より高きうぐいすの声

 奥山の 岩へ雌獅子が巣をかけて 岩を崩して雌獅子を尋ぬる

雨乞い唄

 あれ見さい 雨が降るそうで雲が立つ 雨の支度で沖は荒波

 あれ見さい 沖に竜立つ見いにける 雨の支度で沖は荒波

 あれ見さい 雨が降るそうで雲が立つ 女波・男波で沖は荒波

 あれ見さい 雨が降るそうで雲が立つ おいとま申して帰りおさらば

奉納日

7月24日、7月25日に近い土曜日・日曜日

今年度の詳細

奉納場所

神戸神社(神戸875)

指定年月日

昭和55年(1980年)1月10日(東松山市指定文化財-無形民俗)