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正代祭ばやし

ページID:0003744 更新日:2023年2月28日更新 印刷ページ表示

正代祭ばやし

正代の鎮守、御霊神社の末社である八坂神社の夏祭り(天王さま)で演奏されています。祭り前日の土曜日の晩は「宵宮」といって、社務所で居囃子を行います。祭り当日は、午後二時半頃より「通り祭り」を行います。これは、神輿の巡幸行事ですが、獅子頭に先導され、地区内を巡幸する神輿渡御に従う屋台の上で囃子が演奏されます。「通り祭り」の神輿は車に乗せて巡幸しますが、夜は「高坂神輿会」に担がれて地区内を回ります。その間、はやし連は、神社境内に据え置かれた屋台上で居囃子を行います。正代はやし連の発足は、昭和6年(1931年)です。「囃子連帳」(昭和6年9月1日)には、正代の若者25名が市内古凍のはやし連より囃子を習った事情が記されています。それによると、7月25日の夏祭りの日は、費用をかけて小見野(川島町)や石戸(北本市)から囃子連を頼んでいましたが、囃子を頼む経費がかさむため、村の経費を幾分なりとも減らそうという意気に燃えた村の若者により囃子連が成立したとのことです。この時囃子を習ったのは、市内古凍の囃子連で、囃子連帳によると「金十五円也古凍へ謝礼す」とあります。正代でも古くは古囃子が行われていましたが、この時から新囃子が演奏されることとなりました。また、正代の祭ばやしの中には「段物」と称する、舞台上で演じられる神楽があります。神楽は、昭和14年(1939年)に坂戸市塚越の大宮住吉神楽(国選択・県指定無形民俗文化財)より習ったものです。塚越と正代の距離が約6キロメートルと近いことと、塚越から正代に嫁いできた人がいた縁で習うことになったといいます。正代は元々屋台上でなく、神社境内に仮設の舞台を設けて囃子も神楽も奉納していました。昭和30年(1955年)に祭りばやし専用の屋台ができたことがきっかけとなり、神楽の奉納は、舞台がある民俗芸能の公演会のみになりました。昭和61年(1986年)7月には屋台と御神庫を新造しました。

正代祭ばやしの動画へのリンク付き画像<外部リンク>
画像をクリックすると動画サイトへアクセスします。

上演日

7月25日に近い日曜日(天王様)

上演場所

御霊神社(正代841)及び正代地内

指定年月日

昭和60年(1985年)7月17日(東松山市指定文化財-無形民俗)