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木造阿弥陀如来坐像

ページID:0003729 更新日:2023年12月14日更新 印刷ページ表示

木造阿弥陀如来坐像

 ヒノキ材を用い、頭・体幹部に前後二材を寄せ、その他各部に細かく別材を寄せた寄木造です。内刳(うちぐり)を薄く丁寧に仕上げ、彫眼(ちょうがん)で肉身には漆箔(しっぱく)を施しています。

 丸顔で、丸く高い肉髻(にくけい・頭頂部)など、平安時代後期の特色が見えますが、若々しい顔の張りや目尻の切上がり、深くはっきりした衣文線(えもんせん)など、鎌倉時代の彫刻の特徴もうかがえます。

 昭和26年(1951年)に実施された仏像の解体修理の際に、胎内から墨書が見つかり、建長5年(1253年)4月に大檀那阿闍梨明秀(だいだんな あじゃり みょうしゅう)が寄付を募り、大佛子(師)僧定性(だいぶっし そう じょうしょう)に修理させたことがわかります。

 この修理については、

 (1)当時「修理」という言葉は造立の意味も持ち合わせていたこと

 (2)墨書から、勧進僧(少なくとも2名)まで携わって資金を募っていたことがわかり、修理にしては規模があまりにも大きすぎること

 (3)鎌倉彫刻の特徴がある以上、どんなに遡っても造立時期は鎌倉時代初期となり、わずか数十年程度で大々的な修理が必要になる必然性が考えにくいこと

といった理由から、この年こそがこの仏像の造立年とも考えることができます。

 また近隣の滑川町泉に所在する泉福寺の国指定重要文化財「木造阿弥陀如来坐像」について、同仏像の墨書に記された「仏師定生房」と「大佛子(師)僧定性」を同一人物とみる見方もありますが、定生房は房号(字(あざな)・姓名以外につけた通称)であって法名(僧の個人名)ではないことから、同一人物とみることはできないという見方もあります。

 

 木造阿弥陀如来坐像

 

法量

胎内墨書

所在地

古凍536-1 (等覚院)

指定年月日

昭和3年(1928年)8月17日(国指定文化財-彫刻)

開帳日

10月15日