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光福寺宝篋印塔出土品

ページID:0003705 更新日:2023年2月28日更新 印刷ページ表示

光福寺宝篋印塔出土品

この出土品は、昭和52年(1977年)10月、光福寺宝篋印塔と板石塔婆の収蔵庫建設に伴って行われた修復工事・関連調査の際に発見されました。寺に残されている明治19年(1886年)の「武蔵国比企郡岡郷光福寺宝篋印塔之記」に、塔を釈迦堂の前に移した際、塔の中から銀と水晶製の舎利塔が、塔の下から壷が出土したとあります。このことから、光福寺宝篋印塔にかかわる遺物は、塔中にあったとして寺に伝世している「舎利」「舎利容器(五輪塔)」、改めて発見された「蔵骨器」「人骨」「数珠(水晶製)」の5種に大別できます。蔵骨器となっていた白磁の四耳壷は、14世紀前半の中国製陶磁と推定されています。光福寺の一連の資料は、東国のこの地に宝篋印塔を造立、中国渡来の白磁四耳壷を使用、ここまでの仏教的行為を行っていた事実を示し、鎌倉末期の武士団を考える上で重要な意味をもっています。
光福寺宝篋印塔出土品の画像

所在地

岡627(光福寺)

指定年月日

昭和62年(1987年)3月24日(埼玉県指定文化財―考古資料)