本像はヒノキ材寄木造、漆箔、彫眼の坐像で、市内を代表する古仏の一つです。
像は、丸みのあるふくよかな面相と無駄なく整理された衣文線等の表現に、藤原期に流行した定朝様式の特色を残していますが、目尻切り上がりや表情がやや鈍く、背筋を伸ばして正面を凝視した生彩感のある立体構成に、力強さがみられ、鎌倉彫刻の息吹きが見受けられることから、鎌倉時代に入っての造立であると考えられています。
胸から腹部にかけての胎内には墨書銘がみられ、銘によると鎌倉時代中期の建長5年(1253年)4月に、大木壇那阿闍梨明秀が大佛子(師)僧定性をして修理させたものであることが明らかになっています。本像を修理した定性は、翌年の建長6年(1254年)に滑川町の泉福寺の木造阿弥陀三尊像を修復した佛師定生房と同一人物と考えられ、この地方で活動した地方佛師の一人と想定されています。
古凍536-1 (等覚院)
昭和3年(1928年)8月17日(国指定文化財-彫刻)