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各地区の獅子舞の特徴

各地区の獅子舞の特徴(3匹獅子舞)

野田の獅子舞

座敷獅子の写真
座敷獅子
笛の音曲の写真
笛の音曲
獅子舞の様子
獅子舞の様子
太右エ門さんの笛の写真
太右エ門さんの笛
市指定文化財の獅子頭の写真
市指定文化財の獅子頭

市内で最も古くから行われている野田の獅子舞は寛永12年(1635年)に始められたと言われています。8畳ほどの敷物の上で3匹の獅子が穏やかに舞うことから「座敷獅子」と呼ばれています。

昭和40年(1965年)に市指定有形民俗文化財に指定された獅子舞道具の中に「獅子頭」と「太右エ門さんの笛」があります。桐を材料にした獅子頭は前面に縄文風の線刻を施して気品を表現し、吊り上った大きな目が獅子の力強さを表わしています。また、笛の名手と今でも語り継がれる「太右エ門さんの笛」は笛の師匠から4代に渡り引き継がれているもので他の笛と比べると響きが良く気持ちの良い音がでるそうです。

この笛を受け継いだ故長谷部喜夫さんは、長い年月をかけ、笛の音を一音一音確かめながら白丸黒丸の記号で表した楽譜「ささら獅子舞・笛の音曲」を昭和53年(1978年)に作成しました。こうした努力により野田の獅子舞の笛の音は絶えることなく、吹き継がれてきました。

上唐子の獅子舞(現在休止中)

獅子舞の様子
獅子舞の様子
雌獅子隠しの写真
雌獅子隠し
雄獅子の写真
雄獅子
先頭に立つ法螺貝の写真
先頭に立つ法螺貝

上唐子の獅子舞は江戸時代中期の正徳3年(1713年)に祭りが始められたと太鼓の内側に記されており、300年もの間、脈々と伝えられてきました。戦中戦後のしばらくの間、中断せざるを得なかったり、昭和61年(1986年)、平成20年(2008年)に奉納先の氷川神社が焼失するなど悲しい過去もありましたが、地域の方たちの並々ならぬ努力によりほぼ原形に近い形で行われています。

唐子上一公会堂から「街道くだり」が出発し、氷川神社に向かいますが、かつては、その年の神社の総代の家から7月23日に浄空院、7月24日に氷川神社で奉納をしていました。

上唐子の獅子舞の中でもっとも複雑できれいな曲は「昇(正)殿神楽」と言われています。この曲は街道くだりの途中と後庭の最後で演奏しますが、この曲が流れると「田んぼの上を風が渡ってくるように涼しさを感じる」と地区で語り継がれています。

平成24年頃から奉納を休止しています。

神戸の獅子舞

獅子舞の様子
獅子舞の様子
街道廻りの写真
街道廻り
しめなわの写真
しめなわ
ホーガン獅子の写真
ホーガン獅子

神戸の獅子舞は太鼓の内側に「寛政三年(1791年)六月吉日、武州熊谷梅町、太鼓屋三左衛門」と墨書きされていることから江戸時代後期には行われていたと推測されています。

神戸神社の周辺を華やかな行列を組み、地区の方に祭りの開始をふれ歩く「街道廻り(村廻り)」を行います。かつては、「善能寺」(明治初期の火事により現存していない)というお寺から出発していたようです。

獅子舞は神戸神社境内の「土俵」内で奉納しますが、この土俵はわらで編んだ18俵の俵で形にします。16個の俵で円を作り、残りの2つは神社と鳥居を結んだ通り道に設置します。かつては米俵(約60キログラム)に掘り起こした土を入れて、土俵を作っていました。米俵を使うのは五穀豊穣の意味があるようです。

また、わらで5メートルほどの縄を3本編み、その縄でしめなわを作り、鳥居に飾ります。重さが50キログラムを超え、7、8人がかりで飾られた鳥居の様子は圧巻です。

下唐子の獅子舞 

獅子舞の様子
獅子舞の様子
獅子を導くはやしっ子の写真
獅子を導くはやしっ子
雄獅子の写真
雄獅子
バチと太鼓の写真
バチと太鼓

下唐子の獅子舞は武田信玄の家臣馬場美濃守の子孫が、今から350年ほど前に長寿の神様である白髭大明神を祀り、獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられています。

かつては、唐子神社から丸木美術館近くにあった諏訪神社(合祀したため現存していない)まで1キロメートルほどの「街道通り」を行っていたようですが、現在は唐子神社下にある社務所から唐子神社に向かいます。参道の階段を登りきると、神楽殿の南側に用意された舞庭で舞を奉納します。

下唐子の獅子舞は、舞い方がおとなしく、技が込んでいると言われています。

一方で「雌獅子隠し」などの舞は「はやしっ子」が獅子の周りを左右の足を上げながらすばやく飛び跳ねて廻ったり、太鼓を叩く際、バチの真ん中を持ち、強く「こする」ように押し出し音を出す力強い一面もあります。
かつてこの地域では獅子舞のことを「ささら獅子」と呼びました。獅子舞を行うことをこの地域の方言で「獅子をスル」や「ささらをスル」などと言っていたそうです。

上野本の獅子舞

獅子舞の様子
獅子舞の様子
はやしっ子の写真
はやしっ子
棒術の写真
棒術
街道くだりとマンドウの写真
街道くだりとマンドウ

太鼓に宝暦2年(1752年)、神社明細帳に「嘉永五年(1852年)獅子頭再調」と記載されていたことから、およそ2百数十年前に獅子舞が始められたと推測されています。

宮司宅で祈願祭と獅子舞の奉納を行い、約2キロメートル先の上野本八幡神社まで街道くだりを行います。街道くだりの先頭を行くマンドウの高さは6メートルほど、大小合わせて250本もの花や水玉等が飾り付けられた姿は圧巻で、10数人がかりで持ち運びます。

上野本の獅子舞の特徴は、舞が始まる前に「打ち棒」「受け棒」と呼ばれる役による“棒術"が行われることです。約1.8メートルのカシの木の棒を激しく打ち合う時の音で悪霊を他へ追いやり、棒を地面に投げ捨てたり、打ちつけたりすることで舞庭を浄化します。

棒術が終わると、はやしっ子の「候え=こっちにおいで」の掛け声で、青竹にしめ縄を張った1辺7.2メートルの正方形の舞庭に獅子舞を誘い入れ、雌獅子隠しなどの勇壮な舞が繰り広げられます。

西本宿の獅子舞

獅子舞の様子
獅子舞の様子
唄と獅子舞の写真
唄と獅子舞
花笠をかぶる笛(本管)の写真
花笠をかぶる笛(本管)
富士山の衣装の写真
富士山の衣装

獅子舞に関する資料の中で「武士の家に行きしときの唄」というものがあることから、西本宿の獅子舞は江戸時代中期ごろから始まったと推測されています。

総代宅から富士浅間神社までの約1キロメートルを「街道」と呼ばれる笛の曲と「逸子」の「ほーい」という掛け声に合わせて獅子の行列が向かいます。

西本宿の獅子舞の特徴は「富士山の衣装」と跳ねて廻る「鹿獅子」と呼ばれる動きの激しい舞です。特に最後に行う頭を大きく振り、足を高くあげる「大狂い」と呼ばれる勇壮活発な舞は、西本宿の獅子舞の特徴をよく表しています。

3匹の獅子の見分け方は、背中の帯の色で、青が中獅子、赤が雌獅子、黄が宝冠獅子です。獅子の腰に差した帯の色と同じ2本の幣束は安産のお守りになると言われています。また、この神社では7月14日に子どもの成長を願う初山祭が行われており、子どもに関する云われが多い地区のようです。

西本宿の獅子舞では、舞の最中に舞の意味や流れを説明したナレーションがあり、物語のように見ることができます。

各地区の獅子舞に由来する行事・祭り

宮鼻地区(春祈祷・秋の祭典)

宮鼻八幡神社で獅子頭や「山のおくにさん」と呼ばれる1メートルほどの顔の赤い猿の人形(正式名:猿太彦之命)」を飾り、風雨柔順、五穀豊穣などを祈願します。

24年前までは、花見の舞、争覇の舞、誓盟の舞などの舞がある勇壮な獅子舞が行われていましたが、後継者不足等により現在、舞は中止しています。
山のおくにさんは山の神様で獅子舞行列の先頭に立ち、道案内をつとめていました。

宮鼻地区の山のおくにさんの写真

東平新田地区(獅子巡行祭)

獅子頭をかぶった3匹の獅子と約40人の参加者が列を作り、八雲神社から出発し「獅子回し」と呼ばれる町内を巡るお祭りを行います。かつては約60軒の家を1軒ずつ巡っていましたが、現在は家の件数が増えたことなどから大通りのみを練り歩きます。

大谷(天王様の祭典)

毎年7月14日に天王様の祭典として行われ、昼間は明善谷池のほとりにある八雲神社に飾り、夕方には灯ろうを灯した天皇沼のほこらに赤・黒・緑の3体の獅子頭を飾ります。古くは獅子頭に噛んでもらうことによって地域の人々の疫病除けになるとされていて、今でもこの祭りの習慣となっています。

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